■2023年6月25日 第3回 うり類・スイカ 〜講演「ベテラン農家は語る!」 江戸東京野菜「白岩(しらや)うり」生産者 鈴木留次郎氏、アドバイザー 江戸東京伝統野菜研究会 代表理事 大竹道茂氏
◆鈴木留次郎さんのプロフィールのご紹介
[江戸東京・伝統野菜研究会 代表理事 大竹道茂さんより]
  • 檜原村から、鈴木留次郎さんに来ていただきました。

  • 鈴木さんは、1946年(昭和21年)に檜原村にお生まれになっています。

  • 檜原村の元助役、観光協会事務局長も務め、檜原村のことはなんでも知っている方です。

  • JAあきがわの理事もされ、現在は、檜原村のじゃがいも栽培組合組合長です。檜原村はじゃがいもの栽培に非常に適した地域で、江戸東京野菜の「おいねのつるいも」があります。
江戸東京・伝統野菜研究会
代表理事 大竹道茂氏
  • 檜原村の遊休農地対策推進協議会会長、春日神社総代の御とう神事保存会会長です。
◆講演「ベテラン農家は語る!」
[江戸東京野菜「白岩(しらや)うり」生産者 鈴木留次郎さんより]
◇はじめに
  • 檜原村の鈴木留次郎です。留次郎という名前は祖父がつけてくれました。古めかしい名前で、若い頃はあまり好きではなかったのですが、今は大好きになっています。「留次郎」は、ここで子供を産むのは止めるという意味ではないか、とよく言われますが、実は長男で、ずっと後を継いでいます。

  • まず、ご報告しなければならないことがあります。私は、江戸東京野菜の「おいねのつるいも」など、じゃがいもを作っています。畑に猿の害を防ぐ電柵ネットを張り巡らしていますが、昨日の朝、いのししがネットを破って畑に入り、「おいねのつるいも」をほとんど食べてしまいました。ですから、今年は、残念ながら、私から「おいねのつるいも」を出すのは無理だと思います。ご承知おきください。
江戸東京野菜「白岩(しらや)うり」生産者
鈴木留次郎氏
◇檜原村について
  • 檜原村は、東京都で面積が3番目に広いところです。面積の93パーセントを山林が占めており、残りの7パーセントに、宅地、畑などがあります。山梨県、 神奈川県、八王子市、奥多摩町、あきるの市に接しています。

  • 現在の人口は、2000人程度。50年前は4000人、60年前は5000人だったので、半世紀で半分になってしまいました。高齢者比率は53パーセントで、100人の檜原村の人間に会うと、53人は65歳以上ということになります。

  • 村の真ん中を、浅間(せんげん)尾根という1000メートル級の尾根が馬の背のように走っており、南と北にはっきりわけています。地域も、北谷、南谷にわかれ、若干村民性が違います。この南谷、北谷は、後ほど話の中で出てきますので、頭の中に入れておいてください。

  • 多摩川支流の秋川が流れており、戦国時代には北条系の檜原城という山城がありました。のろしをあげて八王子に情報を伝達した山があり、私の家の庭からはその山がまっすぐ真上に見えます。
◇「白岩(しらや)うり」について
  • 「白岩うり」は、6年ぐらい前に江戸東京野菜に申請するまで名前がなく、「昔のきゅうり」と呼んでいました。もう1つ、いまも「昔のきゅうり」と呼ばれる同じようなうりがありますが、栽培地域が違います。

  • 大竹先生と初めて会ったとき、伝統野菜にはストーリー性が大切だ、と聞き、「白岩うり」のルーツ探しを始めました。檜原村で1番高い標高750メートルの山の中が「白岩」という場所です。私に「白岩うり」の種をくれたのは、そこに住む今年91歳になるおばあちゃんです。その方に、種をどこからもらってきたのか聞くと、「湯久保(ゆくぼ)」という、やはり山の中にある集落です。湯久保の方がお嫁に来るときに、自分のお母さんから、「食べものなくなったときのために」と、持たされたそうです。ご実家があったところは標高700メートルぐらいで、今は誰も住んでいません。その種はどこから来たか、あちこち聞いて回りましたがわかりませんでした。あるとき、私が家の裏手に工房を作ったときに来てくれた大工さんが、山梨県の上野原市西原(さいはら)地区の方で、「そのうりの種は、自分も檜原村へ持ってきている」というので、山梨がルーツだとわかりました。

  • 「白岩うり」は大きくなると黄色くなります。江戸時代から現在まで、北谷だけで作られてきました。南谷にも「白岩うり」の種があるか調べたところ、1か所もありませんでした。南谷のうりは黄色くならず、赤っぽくなります。大きさも、若干小さい。南と北のうりは、全く種類が違います。また、南谷のうりのルーツもやはり山梨県上野原市で、もと上野原といわれていた方面から入ったことがわかりました。

  • 檜原村と山梨県は、江戸時代から交流がありました。武士と違い、庶民どうし、お嫁さんやお婿さんに行ったり来たりも随分あったようです。それで、さまざまな種類の野菜が山梨県から檜原村に入ってきた。「白岩うり」もそのひとつだったわけです。

  • 江戸東京野菜の認定申請をする際、「昔のきゅうり」では申請できなかったため、私が種をもらった土地の名前、「白岩」を使い、「白岩うり」という名前をつけました。
◇種採りのむずかしさ
  • 「白岩うり」も「おいねのつるいも」も、江戸時代から種をつないでいます。この種をつなぐことが非常にむずかしい。特にうりは、近くに別のうり(主にきゅうり)があるとすぐ交配してしまい、非常にやっかいです。いい種を後世に残していくことが生産者の使命ですから、種採りには非常に気を遣います。

  • 「おいねのつるいも」も、種採りが非常に大事です。江戸東京野菜の「おいねのつるいも」は、とても小さいいもです。痩せた土地でたい肥だけで作ると大きくならないのですが、非常においしい。檜原村の、昼夜の寒暖差もおいしさを増すと思います。それが、最近少し変化し、生産者が収穫を増やすために肥料をたくさんやる、すると、「おいねのつるいも」が大きくなる。それは、本来の「おいねのつるいも」ではありません。伝統を残すために、しっかりと種採りをしなくてはいけない、と考えています。
◇「白岩うり」の栽培と食べ方について
  • 「白岩うり」は、外気温が20℃以上にならないと芽が出ないので、時期を見計らって種をポットに播きます。10センチぐらいに伸びたら畑に植え、檜原村で「やた」と呼ぶ支柱を立てます。つる性なので、つるが伸びていけるように、やたを立て、ネットを張る作業が必要です。

  • 「白岩うり」は若いころから食べることができます。若いうりはぬかみそ漬けにすると非常においしく、さらに成長すると、大きな黄色いうりになり、料理して食べます。

  • うりは猿、ハクビシン、カラスなど天敵が多く、若いころは、小さな黄色い虫、ウリバエが葉っぱを食べてしまうこともあります。

  • 「白岩うり」は、スライサーでスライスして、冷やして食べるのがおすすめです。ポン酢など好みの味でいいでしょう。味噌をつけたり、漬けものにもします。普通のきゅうりよりおいしい、檜原村自慢の味として育てています。

  • 量的に限られており、八百屋さんにはなかなか届けられません。檜原村の夏の一大イベント「滝まつり」では販売します。人口2000人ぐらいの村に、2日間で2万人ぐらいのお客さまが訪れます。
◇「おいねのつるいも」について
  • 「おいねのつるいも」は、山間地で作らなければ味が出ません。

  • 生産者は増やしていますが、本来の「おいねのつるいも」の性質を知らない人もいて、若干変わりつつあるので、私は、種いもに気を遣っています。

  • 塩ゆでにして、昔ながらの自家製味噌で食べると、非常においしい。じゃがいもには、味噌がぴったりです。町の人たちが私のところで食べると、「こんな食べ方は初めてだ」といわれます。

  • 山間地では、縁の下や廊下の下に、じゃがいもを保管する場所があります。風通しが良く、外の光が遮られています。こういう場所がない家では、2℃ぐらいの冷蔵庫で保存します。商品価値がなくなるので、芽が出ないようにします。

  • 檜原村のじゃがいもを特産品として買ってもらおうと、30年くらい前に「ひのじゃがくん」というマスコットを作りました。また、お中元やお歳暮用としてオリジナルの箱も作りました。

  • 20年前、今年の3月まで村長をしていた方と私で、檜原村のじゃがいもで焼酎を作ろうとしました。そのときはいろいろな制限があり、檜原村では作れなかったので、北海道の会社に檜原村のじゃがいもを原料にした、じゃがいも焼酎の製造を委託していました。17〜18年続きましたが、3〜4年前に、檜原村でじゃがいも焼酎製造の特区が取れました。じゃがいもの安定供給が必要になり、じゃがいも栽培組合を作りました。4人くらいから始まり、現在は、30人ぐらいになっています。じゃがいも焼酎は大変好評で、村民はなかなか飲めない状況です。
◇その他の特産品について
  • 私はメープルシロップも販売しています。約1ヘクタールの山を借りて、イタヤカエデという木から樹液を採取します。透明な液体で、採り立ては味も甘みもありませんが、昆虫たちには非常に甘いらしく、たくさん集まってきます。1回120〜130リッターぐらい採取し、2日間かけて、100リッターの樹液を2〜3リッターに煮詰めて、糖度66度のメープルシロップにします。ちなみに、メープルシロップは糖度66度以上で、66度以下はメイプルサップといいます。メイプルサップは保存が利きません。糖度66度以上になると、常温で10年でも20年でも保存できます。メープルシロップを作り始めて5年目になりますが、趣味みたいなものですね。
メープルシロップ
  • 「なつはぜ」は、非常にめずらしい和製ブルーベリーです。現在、日本でこの実をジャムにしているのは、私と、長野県の農園、福島県に1か所、この3か所しかありません。9〜10月に収穫し、ジャムにして販売しています。とても人気があり、お問い合わせもよくいただきます。私は観光協会の事務局長として、とにかく檜原村に来てもらいたい。そこで、「なつはぜジャム」の販売は檜原村に来なければ買えない限定品にさせていただいています。それでも作るのが間に合わないくらいです。
なつはぜジャム
  • ルバーブは、栽培を始めて10年ぐらい経ちます。5株だけもらって始め、今は300株ぐらいに増えました。日本での始まりは明治時代、キリスト教の宣教師が長野県へもってきたといわれます。私が作っている種類は、鎌倉の建長寺の近くがルーツだったことがわかり、苗は今もそこから入れています。

  • ルバーブにはいろいろな食べ方がありますが、私は、ほとんどを砂糖漬けにします。砂糖漬けを作るとき、15日ぐらいでできるシロップを使って、中央大学の学生がサイダーを作ってくれました。色がよくて、おいしいと、好評です。砂糖漬けの残る部分を、3センチぐらいにカットして乾燥させた菓子も販売もしています。口に入れたときはかたいのですが、噛むと味が出てきてもう1つ食べたくなります。

  • 最もシンプルなルバーブの食べ方はジャム。鍋にルバーブと砂糖を入れ、10〜15分混ぜながら煮るだけです。私は、中央区浜町の「浜町公園祭り」で10年くらいルバーブを販売していますが、ジャムは売れません。みなさん、生のルバーブがほしい。檜原村へ観光に来て、生のルバーブを買って帰り、自分好みのジャムを作る方が多いんです。ですから、生はすぐに売り切れます。
蜜漬けルバーブ

ルバーブサイダー
  • 都内の女学校の生徒さんが私のルバーブでジャムを作って、それをフレンチの三國シェフがおいしい、と食べてくれたこともあります。

  • 檜原村では、山うども栽培しています。立川の白いうどが有名になり、山うどはなかなか売れないかもしれませんが、香りも味も全く違います。私は、山うどの新芽を食べていました。これも非常においしい。ただ、新芽は流通がむずかしく、都内の八百屋さんにお届けできません。山のものは山で食べなければいけない、商品にはなりにくいというのは、われわれの悩みの種でもあります。

  • 試験的に「オヤマボクチ」を畑に植えて3年目、だいぶ増えてきました。花野や新潟の山の中が本場で、昔はこの葉をそばのつなぎにして、10割そばを打ちました。檜原村では「ねんねんぼう」と呼ばれています。昔、火打ち石で火をおこすときに、「オヤマボクチ」の干した葉の繊維を火口にしていました。火縄銃の火口にも、使っていたそうです。「ひくち」が変化して「ボクチ」になったといわれています。
◇質疑応答より

    Q:「白岩うり」の種播きや収穫の時期について教えてください。
    A:種播きは6月15日くらいから7月後半まで。6月15日あたりに播いたものは、7月の半ばぐらいには小さいきゅうりとして食べられるようになり、大きくなるのは8月 15日くらいになります。

    Q:檜原村のお祭りはいつですか?
    A:「滝まつり」は、例年、第3 土曜、日曜で、今年は8月19・20日の予定です。コロナ禍で3年間やっていませんが、今年はできそうだという話が出ていて、今、それに向けて準備をしているところです。

    Q:檜原村に行くにはどれくらい時間がかかりますか?
    A:ここから車だと、高速道路が空いていれば1時間半くらい。電車だと2時間はかかります。

    Q:「なつはぜ」は収穫が大変だとうかがったのですが…。
    A:「なつはぜ」は、低木で、大きくなっても3メートルくらい。はぜの木とは違う種類です。大昔から日本に分布していましたが、国の政策でスギやヒノキの山が増え、「なつはぜ」は絶滅危惧種になっています。50年くらい前に檜原村に植えてくれた方がいて、その実を摘んでジャムにしています。ブルーベリーは品種改良が進み、小さい実を大きくしたり、味も随分よくなりましたが、「なつはぜ」は品種改良ができません。素人には木を増やすこともむずかしい。ツツジ科なので、挿し木で増えそうとしてみましたが、つきませんでした。実を摘むのも労力を要します。赤い実が熟して黒くなったものから採って、冷凍します。私と女房、お手伝いも頼んで、だいたい2ヶ月かけて採りますが、人手が足りなくて採りきれません。

 

【八百屋塾2023 第3回】 挨拶講演「ベテラン農家は語る!」勉強品目「うり類」「スイカ」食べくらべ