■2013年10月20日 第7回 〜 講演「ハナビラタケ誕生の経緯」 (株)ウェルビィ 福島隆一氏
◇きのこの世界を見て
  • 私は、1974年(昭和49年)に埼玉県大宮北高等学校の生物の教員になりました。生物の授業の一環として課題研究学習があり、生徒たちを7班に分け、毎週2時間ずつ、課題研究を行っていました。梅雨の頃、学校近くの林で植物生態学を学んでいた生徒たちが、バケツ2杯分のきのこを持ってきました。黒や赤の大型のきのこで、名前を教えてほしいといわれましたが、当時の私には皆目見当がつきませんでした。その頃、生物研究会の会長をされていたのが卜沢美久先生で、きのこの分類に詳しい方だと聞いていたので、ご自宅にお邪魔してきのこの名前を教えていただきました。生徒たちが持ってきたのは、クロハツとアカフチベニタケというきのこでした。その後、生徒たちといっしょに林に行ってみたら、雑木林の中が一面きのこだらけで驚きました。

 

(株)ウェルビィ 福島隆一氏
  • 生物研究会では、年に3回研修会がありました。秋は卜沢先生がきのこの勉強会の指導をしており、1976年(昭和51年)に私も初めて参加しました。その頃はきのこのことをまったく知らなかったので、採集された130種類ぐらいのきのこにすべて名前がついていることを知り、衝撃を受けました。それから、きのこを採っては卜沢先生のところに行き勉強を始めたのですが、一度持って行って教えていただいたきのこは二度と持って行かないと決意し、一生懸命名前を覚えました。3年もすると、持参したきのこのほとんどの名前がわからない、といわれるようになりましたが、日本のきのこで名前がついているものは1割程度ですから、それも当たり前のことでした。
◇ハナビラタケとの出合い
  • 1978年(昭和53年)の生物研究会は、十文字峠から甲武信岳の調査でした。十文字峠を目指して奥秩父の川又から登り始め、1,200メートルを超えたあたりからカラマツ帯になりました。そのカラマツの地際に白いハボタン状の大きなきのこがあり、それがハナビラタケでした。それまで実物を見たことはなかったのですが、図鑑でしっかり覚えていたので、すぐわかりました。

  • 採集したきのこを山小屋の庭に広げ、参加した先生方に見ていただいていたところ、山小屋のおやじさんが出てきて、「おまえ、いいものを採ってきたな! 俺が松茸を採ってくるから、今夜は松茸ご飯とハナビラタケの味噌汁にしよう」ということで、持って行かれてしまいました。このとき食べた松茸ご飯もおいしかったのですが、ハナビラタケの味噌汁も歯ごたえがあり忘れられない味になりました。これが、いつかこのハナビラタケを作ってみたい、と思うきっかけになった出来事です。
◇埼玉きのこ同好会の発足ときのこ栽培研究のスタート
  • 卜沢先生にうかがっても不明な種類のきのこは、菌学会の専門家に見てもらい、勉強を続けました。サルノコシカケなどの分類を専門にされていた今関六也氏が顧問をされていた神奈川きのこの会にも、卜沢先生といっしょに入会しました。その後、埼玉にもきのこの会を作ろうという気運が高まり、1984年(昭和59年)の春、卜沢会長のもとに12名のメンバーが集まり、埼玉きのこ同好会が発足しました。

  • 1985年(昭和60年)の春からは、1年間長期研修に出られることになり、筑波国立林業試験場で、きのこの培養や栽培技術を学びました。朝から晩まできのこ漬けの生活で、1年間で800系統ほどのきのこを培養し、300系統ほど純粋培養を行いました。この中に、ハナビラタケもあり、試験管の中できのこを作ったのを見て、ハナビラタケは栽培できる、と確信しました。

  • 研修が終わっても、きのこの栽培研究を続けたかったので、1988年(昭和63年)から、培養機器のととのっている熊谷農業高校に転勤。科学部の部活動として、生徒たちといっしょにきのこの栽培技術を深めていきました。この頃、現在販売されているさまざまな食用きのこの試験栽培や、まだ誰も行っていないきのこの栽培なども手がけていました。
◇ハナビラタケの栽培に挑戦
  • 1991年(平成3年)から、かつて十文字峠で食べたハナビラタケの研究を始めました。菌糸の性質からスタートしたのですが、成長が遅く、褐色腐朽菌でもあり、誰も手がけなかった理由がすぐにわかりました。それでも、三角フラスコでハナビラタケの種菌を作り、1992年(平成4年)の秋、アカマツやカラマツの原木を滅菌し、栽培をスタートしました。慣れない作業で、多くの原木がカビで汚染されてしまったり、気温の低下で成長が止まってしまったりと、いろいろありましたが、なんとか栽培に成功し、新聞にも「世界で初めてのハナビラタケの人工栽培」と取り上げられました。

  • ハナビラタケ栽培の本当の苦労は、大量栽培の研究を始めてからでした。誰も栽培したことのないきのこだったので、どのような栄養成分がいいのか、どのような環境で育てたらいいのかなど、難しさを体験しました。そのうち、純粋デンプン類を入れるといいことや、カラマツのオガクズが最適であることなどがわかってきました。長年、科学部で生徒たちと研究を続けた結果、1996年(平成8年)、1997年(平成9年)の全国大会で優勝という、熊谷農業高校始まって以来の快挙を挙げることもできました。

  • 私は、ハナビラタケを、「21世紀のおいしいきのこ」として開発したつもりでした。ところが、ハナビラタケには、β-グルカンという成分が多量に含まれていることがわかり、抗腫瘍試験を行ったところ、驚くような好結果になりました。その結果発表を熊谷農業高校で行ったところ、翌日、大々的にマスコミで報道され、以降、マスコミだけでなくさまざまな人たちが学校に押しかけるようになり、教員を続けることが難しくなりました。そこで、2003年(平成15年)から、京都にあるユニチカ中央研究所できのこの栽培研究をすることになりました。
◇ハナビラタケの食材としての魅力
  • ハナビラタケはクセがなく、和洋中、どのような料理にも使えます。他の食材の邪魔もしません。すまし汁、味噌汁の具、きのこご飯、鍋物、天ぷら、サラダ、酢の物、マリネ、タコとあわせたカルパッチョ、パスタの具などがおすすめ。

  • ハナビラタケは傷みにくく、日持ちします。船舶での輸出も可能です。

  • ハナビラタケのハナビラは薄いのですが、煮崩れせず、独特の歯触りがあります。加熱してもその食感が残ります。
◇ハナビラタケが普及しないわけ
  • ハナビラタケは菌糸の生長が遅く、きのこの生長も遅いため、収穫まで3ヶ月かかってしまいます。

  • 純粋デンプンなど高価な培地成分を使うため、製造コストが高くなります。

  • 高い栽培技術がないと、失敗してしまうことがあります。
◇ハナビラタケのおいしい食べ方
  • 「ハナビラタケの手巻き寿司」
    400gのハナビラタケを沸騰した3リットルのお湯に入れ、1分ほどで再沸騰したらザルに上げる。冷水にさらし、よく水けをきって、手巻き寿司の具に使う。

  • 「ハナビラタケのにぎり寿司」
    ハナビラタケは30秒ほどゆでる。冷水にさらし、よく水けをきる。酢飯を握り、練り梅、わさびを適量塗って、ハナビラタケをのせる。濃厚な味が好みなら、甘酢に漬けたハナビラタケをのせても美味。

  • 「きのこ汁」
    ハナビラタケのほか、シイタケ、ハタケシメジ、ブナシメジ、マイタケ、ナメコ、マッシュルーム、ヤナギマツタケ、エリンギ、ヒラタケ、タモギタケ、エノキタケなど、好みのきのこをだし汁で煮て、しょうゆや味噌で調味します。なす、たまねぎ、にんじんなどの野菜類、帆立貝などを入れてもおいしくできます。

  • 「きのこのおこわ」
    もち米に、好みのきのこ、鶏むね肉、マカダミアナッツを入れ、調味料を加えて炊きあげます。
◇きのこは生で食べないで
  • マッシュルームを生でサラダに入れますが、どんなきのこも生で食べることはおすすめしません。きのこには酵素があり、少しなら問題はないかもしれませんが、免疫力が落ちているときなど、お腹を壊します。
 

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